
お久しぶりです。
前回、更新したのは3月11日の早朝。その時に載せた写真は宮城県の松島海岸と山形県の銀山温泉でした。3月10日まで東北旅行をしたものでした。3月9日に松島海岸にいた時にも地震があり、その際には私がいた松島には被害はなかったのですが、現地の方々が暖かく気を配ってくださったことを思い出します。
11日に起きた地震、犠牲になってしまった方々に哀悼の意を表し大きな被害に心を痛めると共に、被災された方々の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
私は地震の当日、恵比寿のアトリエで久しぶりにヌードデッサン教室に参加していました。あまりに大きな揺れで、アトリエなので取り付けの照明がとても多く、画材も積まれているのでとても怖かったです。家まで徒歩だと2時間以上かかりそうだったので迷いましたが、明るいうちの方がいいし途中でタクシーか電車復旧するかなと軽い気持ちで歩き始めました。歩き始めて、ニュースが入りだし、あまりに大きな地震であったことに怯え始め、徐々に帰宅令になった会社員等で道が混雑してきて、携帯の充電もなくなり始め、不安は募りました。
幸い、コンビニで食べ物、飲み物、なぜか折り畳み傘、そして携帯の充電器をすぐに購入したので、結局3時間くらいの道のりで帰宅することができました。早い段階でViberとSkypeは使用できたので、家にいた彼と連絡できたのがすごく心強かったです。
それからの日々に、初めて目の当たりにした大都市東京の混乱状態、何もできずどうしていいかもわからず、卒業式は中止になり、参加予定だった業界のパーティも中止になり、余震は続き、精神状態がとても荒れてしまい、自分の弱さを目の当たりにしました。何より、前日まで自分たちが訪れていた場所での大きな被害に、被災された現地の方々を思うと共に、1日旅行日程を遅らせることも検討していただけに不安とも恐怖とも表せない圧迫感のようなものに押しつぶされそうでした。
今もまだ、闘いの続く被災地の方々のため、そして日本全体のため、自分もできることから協力していこうと強く思います。それと同時に、将来的に、私は1人の日本人として何ができるだろう、私の志すファッションの世界、showや店舗はすべて自粛し、デザイナーの諸先輩方が直接何もできないことを嘆くツイートなども見ていました。
まだ駆け出しの私には、ファッションで何かが出来る!なんて言うことはできないし、わかりません。ただ、この体験はデザイナーを志す自分に確実に感情や価値観の変化をもたらしました。
ファッションデザインは社会のバイブスとの呼応。そして、そのデザインを届け、受け取り、消費する相手がいるもの。目に見えない相手を意識する、ということは学生で自分の研究活動の一貫として服を作り、目の前のモデルに向けて服を作り、それを売ることもない私には実感することが難しかったことです。それが、こんかいの経験で見えない他者とのつながり、自分の創作を消費する相手がいるということ、見えない誰かのために、社会にデザインを届けるということをとても強く考えました。私たちの世代、社会が細分化され大きなムーブメントを共有することの難しい世代にとって、社会全体との一体感を感じる事象は新たな体験であったのではないでしょうか。
今回の震災は決してプラスのものではないけれど、偶然が重なり運が良かっただけで被害を免れた自分は、被災された方々のために出来る限りのことをして、そして平穏な生活があることに感謝し、自分のやるべきことができる幸せにもう1度感謝しながらプラスのモチベーションへ変えて一生懸命頑張って行きたいと思います。
3月25日、4年間通った東京大学を卒業しました。この4年間を支えてくれた両親、家族に大きな感謝を送ると共に、先生方、先輩、同輩、後輩、出会った全ての皆様に感謝したいと思います。ここで学んだことが私という人間の人生を大きく変えたのは間違いありません。
これから新たな道へ進む私ですが、ここで学べたことをとても幸せに思っています。これから一生、この人には負けたくないとか、将来いっしょに何かを成し遂げたいとか、この人に恩返しをしたいとか、そんな方々と出会えたこと、とても刺激的で恵まれた4年間でした。本当に多くのことを得ることができました。
そして昨日3月30日、この震災の間も毎日支え合い、そして3年間寄り添った相手が就職先の地元へ旅立っていきました。物理的な距離は離れても、これから先もずっと変わらず私の大切な人です。
誰よりも大切に想い、誰よりも側にいたので、誰よりも迷惑をかけることが多かったけど、本当に本当に彼がいたから平凡な毎日でも1日1日が輝いていたと思います。そんな相手と出会えた私は本当に幸せ者です。これからも2人で、離れた場所にいても支え合える関係でいたいと思います。
何度も離れる道を選んだ自分を悔やんで、寂しくて辛くて泣いてしまいました。私の夢は、大切な人にも寂しい想いをさせ、大切な家族に負担を与えて、そうまでして叶えたいものですか?と何度も何度も考えました。
でも、ワガママなのは承知ですが、自分の望む道に進めなければ、私はここまで強く誰かを大切に思えなかったと思います。夢のない私は、本当に他に何もない生活能力のない高慢な女で、自分の道に進むことを選んだ今でもそれは同じですが、こんな私を支えてくれて愛情をくれる大切な人を大切に想う分、その分頑張るんだということだと今は思います。
この先、もしかしたらこの選択によって、彼に寄り添うのが私でなくなってしまうこともあるかもしれないし、悲しい思いをさせてしまうかもしれないけど、変わらず大切に思い、そして願わくばまた2人で暮らせる日が来ますように。
とりあえず、次に会うのは2ヶ月後。18日後にはもう一旦渡英するので、頑張れそうだよっていえるように、今日からまた、1つ1つ頑張ります。これからもよろしくね。
さて、18日後にはもうイギリスだー!私らしく、また1つずつ、頑張って行きます。これからも応援してください。その10倍頑張れるように、ストイックにいきたいと思います。頑張れることはありがたいこと。本当に、頑張って行きましょう。
大切な家族、友人、大切なKTR、そして大切な日本に愛をこめて!

